ここ数ヶ月に読んだ小説に何度か出てきたのが、登場人物の心と体の性が異なるというものでした。どれも登場人物に寄り添って丁寧に描かれていました。心と体の性が異なるって想像しただけで、どんなに苦しいだろうと胸が痛くなります。なんとか力になりたいって思います。
今読んでる小説に登場している男子中学生もそうなんです。ある日、妹の友達の前で初めて本当の自分の姿をさらけ出すんです。その子に手伝ってもらいながら、スカートとキャミソールに着替えるシーンには本当に心が痛くなりました。私のイメージでは彼はドラえもんのジャイアンのような外見の中学生です。でも、彼の心は誰よりも乙女だと思えるんです。サイズがちょっとキツイと言いながら、なんとか着替えようとします。みんなが普通に過ごしている毎日がどんなに辛いだろう、悲しいだろうってその気持ちを考えたら涙が出てきます。小学生の妹の友達も、実はその子が主人公なんだけど、それまでは「お兄ちゃん」と呼んでいたのに、素直に「お姉ちゃん」と呼ぶんです。小学生の彼女は可愛そうだからとか、仕方なくなんていうことではなく、「お姉ちゃんって呼んで」と言われた瞬間から、きっとそれが正しいんだと感じ取るんです。だから、本当に自然に「お姉ちゃん」と呼ぶんです。でも、それが二人の秘密だってことは十分に理解しながら。「お姉ちゃん」になった男子中学生は後半、どこかに姿を消すんだけど、小説には『彼女』の心のうちを一切書いてないんです。淡々と主人公との二人の時間での事実のみが綴られているから、なおさら心に響きます。『彼女』は自分の世界を見つけることができたんだろうかと身内を心配するような気持になりました。この物語には他にも様々な問題が散りばめられていて、『自分には何ができるんだろう』と自問自答させられる作品なんです。
月別アーカイブ: 2018年4月
分かってるんですけど
今はドラッグストアに行くと、シャンプーやトリートメントは容器入りの物よりも詰め替え用の方が沢山売られているような気がします。私もついつい安さにつられてそっちを買ってしまいます。というより、容器は今使ってる物が家にあるんだから、買う必要はないって思うんです。そして、ほぼ空っぽになったらお風呂で使うときに詰め替えるんです。もっと厳密に言うなら『詰め替え』ではなく『継ぎ足し』です。けど、これって、あんまり良くないんですよね。以前に何かの記事で読んだことがあります。でも、ついつい面倒でそうしてしまっています。
そしたら、先日、この行動について『危険』だと書いてある記事を見かけました。「わかっってはいるんです」という気持ちでその記事を読みました。けど、『危険』と書かれると、やっぱり気になります。詰め替えの時には、一度洗って乾燥させないとお風呂の湿気で繁殖している菌をどんどん増殖していくことになるんだって。菌まみれのシャンプーで髪を洗うなんて考えたらゾッとします。もう一つ別に容器を買って、そこに詰め替えれば、洗って乾燥してから使用することができますよね。以前にもそう思ったことはあるんですけど、実行ができていませんでした。でも、今回は『菌まみれ』をイメージできたから必ず実行します。もう『継ぎ足し』はしません。